2017.5.16
【武士道と酒道】
みなさーん、こんにちわ。 店主の石田です。 こころむすびでは、毎週火曜日に、メルマガを発酵…いや発行しています。 キーワードは 【美味しいは楽しい!】 です。 毎回、美味しくて楽しい、そして、皆様にお役に立てるような コンテンツをお送りいたします。 登録はこちらから 本日は、過去のメルマガからシェアしたいと思います。 タイトルは 『武士道と酒道』 です。以下転載 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 日本の発酵醸造学の第一人者である、東京農業大学名誉教授の小泉武夫氏の著書によると、 『この地球上のほとんどすべての民族には、その民族独自の酒というものが存在します。 文化人類学上で酒を持たなかった民族はイヌイットが唯一です。 宗教上の理由で酒を飲まない人もいるが、歴史を紐解くと過去に酒の文化を持っています。 だから、どの民族にも、それぞれに民族の酒といえるものが存在します。 日本に日本酒があるように、ドイツにはビール、フランスにワイン、ロシアにウオッカがあります。 それぞれの民族は、それぞれの気候風土や食文化に合わせて、さまざまな酒を造ってきました。 食生活の中のみならず、社会秩序や社会の慣習の中において、酒の文化という重要な役割を果たしてきたのです。』 (『食の堕落と日本人』より引用) 日本酒には2000年の歴史があり、日本の文化の一つとして、酒の文化も歩んできました。 その時代、その時代に見合った酒の文化があり、飲み方があったようです。 実は室町時代から江戸時代にかけての酒の飲み方は、現在より遥かに洗練された飲み方だったようです。 茶道や華道と同じように、酒道というものがありました。 それは室町時代あたりから、お酒の飲み方を人間の修養として捉えて、始まったのです。 茶道、華道、柔道、剣道のように、我が国の『○○道』には、精神修養の側面があります。 酒道では、酒の注ぎ方や飲み方、返杯の仕方など酒席での礼儀作法を細かく定め、飲酒による精神性を高めようとしたのです。 また、子どもが元服(今で言う成人式で、当時は11歳~16歳ぐらいで行った)する時には、酒の飲み方を教わります。 しかも、両親や祖父母から手厳しくです。 それは礼儀作法や精神修養につながるからです。 現代では、酒を飲んで失敗しても、 『酒の席でのことだから…』 という理由で大目に見てもらえます。 寛容な時代です。 しかし、江戸時代では、酒で失敗したら世の中に受け入れてもらえませんでした。 特に武士の世界では、酒の上での失敗に対して、非常に厳しいものがありました。 『酒は飲んでも、飲まれるな』 武士道に通ずるものです。 そして、酒で失敗しないために、精神修養のための訓練の場がありました。 武士たちは、それに参加することによって、酒の道を学んでいたのです。 具体的には 主人にあたる武士が、自分の手下の侍たちを酒宴に招きます。 主人は自分の前に、右側に20人、左側に20人、一列に正座させます。 彼らの前にはお膳があります。 よく時代劇にある場面ですね。 大きな杯が上座から下座へ順番に周ってきます。 侍たちは自分の前に置かれた杯の酒を飲み干します。 最後までいったら、逆に下座から上座へ戻ってきます。 二時間ほどの宴の間に、一人3合から4合ほど飲みながら食事をします。 すべてに気品が重んじられ、厳かな雰囲気で行われる儀式です。 誰一人として姿勢を崩すことなく、背筋を伸ばして正座を続けています。 もちろん、帰り道でも、酔っ払ったり、大声を出す者もいません。 この酒宴の目的は、主人が手下の侍たちの意思統一を図るのもありました。。 しかし、それ以上に、酒に飲まれるような武士にならないために、酒で精神修養することが目的だったようです。 でも… 飲めない武士はどうしたのだろうか? という疑問が出てきます。 もちろん、江戸時代でも飲めない人間はいました。 そのようなときは、杯が自分の番にまわってきた時に、飲めない武士は親指を内側に折って杯を持ちます。 すると、これは酒が飲めないというサインであって、酒を注ぐ者も心を込めて酒を注ぐふりをします。 注がれた飲めない武士は、その空の杯で飲んだふりをするのです。 これも酒道の心の一つです。 粋だと思いませんか? 一昔前の上司や先輩に 『俺の酒が飲めないのか~?』 と強要するようなことはなかったのです。(笑) 我々日本人は、酒の飲み方一つ取っても、先人たちに学ぶものは大いにありそうです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 以上終わり やはり、酒通はカッコイイ飲み方がいいですよね。 本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。