2017.4.4
【なぜ日本人は辛口を好むのか?~その3~】
みなさーん、こんにちわ。 店主の石田です。 久しぶりに濃い内容を連載しております。【なぜ日本人は辛口を好むのか?】 いや、好んでいるより、それしかなかった… というお話が1日目(←こちらからどうぞ) そして、辛口とはどんな味わいなのか… と言ったお話が2日目(←こちらからどうぞ】 そして3日目。 そもそも、なぜ日本酒の味わいを『辛口』と表現するようになったのでしょう? というお話です。 これには歴史を紐解く必要があります。 今日は歴史の話が長くなるので、興味ない方はスルーしてください。 第二次世界大戦当時、米が不足してしまい、日本酒が造れなくなりました。 そこで、苦肉の策で三増酒という酒を造ったのです。 これは文字どおり、三倍に増やす酒のことです。 1升の酒が3升の酒に増える魔法の酒です。(笑) もちろん、勝手に増えるわけではありません。(笑) しかし、あまり知られていませんが、この魔法の酒は日本で生まれたのではありません。 えっ! どこ? 実はルーツを辿ると、戦時中の満州で生まれた悲しい酒でもあります。 ちょっと脱線しますが、この三増酒のルーツをお話しましょう。 1943年、戦雲は敗色濃厚でした。 満州では、日本から送り込まれた開拓義勇軍の農民、青少年、婦女子らが身も凍る原野で肩を寄せ合って暮らしていました。 不毛、極寒の地では、酒は正に生活必需品です。 食料が底をつき、清酒に回す米もなくなりました。 そのような状況下で、関東軍司令部から1通の命令書が届きました。 『米以外の原料で清酒を造れ』 でした。 そこで、現地の醸造技術者が満州のコーリャンなどあらゆる穀物を試してみました。 ですが、あえなく失敗。 その後に到達した苦肉の策が 『清酒を水とアルコールで”のばす”』 という発想です。 『うすめりゃ、いいだろう』 という荒っぽい発想でしたが、それ以外に方法がありません。 『1升の酒を3倍に薄めれば、3升の酒ができる!』 これが三増酒の始まりです。 水だけで薄めれば、『水っぽい』酒になり、酔い方も1/3になってしまいます。 そこで、醸造アルコールを加えます。 『アル添酒』の始まりです。 だけど、アルコールだけを加えると辛くなります。 そこで、 『甘けりゃ、いいだろう』 という発想で、ブドウ糖を加えました。 今度は甘味がつきましたが、旨味が物足りない。 ならばと 『味の素』を足します。 俗に言う、『グルタミン酸ナトリウム』です。 酸味が少し足りなければ、合成乳酸を足しました。 こうして、 『添加物』だらけの 『清酒のような味がする』 『なんちゃって日本酒』 の完成です。 紛れもない、ニセモノの酒です。 こうして、3倍に化けたニセモノの酒は満州だけでなく、敗色濃厚な本土でも急速に広がっていきました。 米も酒も全くない状況下では、酒のような味がすれば良かったのです。 多少の不味さなど問題外でした。 この怪しい、ニセモノの酒が、戦後の荒んだ日本人の心を癒やしたのは間違いありません。 だから、時代背景からしたら、この三増酒の存在価値はあったのです。 ところが、このニセモノの酒… 戦後もずっと造り続けられました。 政府が推奨していたのです。 戦後30年経った1975年の時点でも清酒総生産量の1/3強が三増酒でした。 戦時中にやむを得ず生まれたのが三増酒です。 戦前までは存在しませんでした。 一部、江戸時代の頃から焼酎を足す技法はありましたが、これは腐敗防止が目的です。 量を増やすことが目的ではありません。 なぜ、戦後30年もたっても、三増酒が存在していたのでしょうか? 間違いなく 『儲かる酒』 だったからです。 このニセモノの酒… 本当の日本酒とは言い難い飲み物… この怪しい飲み物の味を想像できますか? 実は、甘くてベトベトする味でした。 飲むと頭が痛くなり、気持ち悪くなる酒です。 昔、先輩に無理やり飲まされたあの酒です。(笑) 吐き続けながら、飲み続けたあの酒です(笑)(←私だけではないはず!) ある一定の年齢より上の方には、経験があると思います。(笑) ちょうど、この時期あたりから、日本酒低迷時代が始まるのです。 『そりゃ、この味なら、日本酒離れしていくだろう!』 というのが、誰しもが思う本音です。 ところが、この酒に対抗するための違った味わいを持つ酒がでてきたのです。 それが… ~次回に続く~ 本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。